自分にとっては大事なことを、誰かに話してもうまく伝わらない。
「分かってもらえない」と感じたとき、なぜか少し引っかかることがあります。

例えば、その話に対して、

「気にしすぎじゃない?」

「そんなこと気にしてたの?」

と返されてしまったとき。

話している側からすると、それは気にしてしまうだけの理由があるからこそ言葉にしている。
それにもかかわらず、その前提ごと飛ばされたような反応をされると、どこかに違和感が残ることがあります。

あるいは、自分なりに丁寧に説明したつもりでも、
相手の中ではまったく違う形で受け取られてしまい、的外れな返答が返ってくることもあります。

一つ一つは、そこまで大きな出来事ではないのかもしれません。

それでも、あとになっても残り続ける。
時間が経っても、なぜか思い出してしまう。

この感覚は、単に「伝わらなかった」というだけでは、
説明しきれないものがあるのではないか。

そんなふうに感じています。

人はなぜ「理解」を求めるのか

こういう引っかかりが残るとき、
そもそも人はなぜ「分かってもらいたい」と思うのか、少し気になります。

人は、自分の中にあるものを誰かに話すことがあります。

出来事や感情、考えていることなど。
それを言葉にして、外に出そうとする。

ただ、そのときに求めているものは、
単に「話を聞いてもらうこと」だけではないのかもしれません。

例えば、

  • 自分が感じたこと
  • 自分が体験してきたこと
  • 自分の中で確かにあったと思っていること

そういったものを、

そのままの形で受け取ってほしい

そんな感覚に近いのではないかと思うことがあります。

言い換えると、

自分の中にあるものを、そのままの温度で認識してほしい

ということなのかもしれません。

ただ、この「そのまま」という感覚は、
意外と難しいものなのではないかとも感じています。

なぜズレが生まれるのか

では、なぜそのまま伝わらないのか。

一つの理由として考えられるのは、

体験そのものは共有できない

ということです。

どれだけ言葉を尽くしても、

  • 同じ時間
  • 同じ場所
  • 同じ感覚

これらを、そのまま相手に渡すことはできません。

さらに、

  • 相手がこれまでに経験してきたこと
  • 持っている価値観
  • 前提としている考え方

これらもすべて違っています。

そのため、

同じ言葉を使っていても、受け取り方にズレが生まれる

こういったことは、自然に起きてしまうのかもしれません。

なぜ「引っかかり」として残るのか

こうしたズレは、どんな場面でも起きるものですが、
すべてが同じように残るわけではないようにも感じます。

特に引っかかりやすいのは、

自分にとって意味のあるものが、そのまま受け取られなかったとき

なのかもしれません。

単に伝わらなかったというよりも、

自分の中にあるものが、違う形で扱われてしまった感覚

が残る。

それが違和感として残り続け、
あとになっても思い出してしまう。

そんな構造があるようにも思えます。

では、この引っかかりをどう扱えばいいのか。

では、この引っかかりをどう扱えばいいのか。

はっきりとした正解があるわけではありませんが、
一つの見方として、

すべてをそのまま伝えることは難しい

という前提を持っておくことは、
少し楽になる考え方なのかもしれません。

これは諦めというよりも、
「ズレがある前提で関わる」という捉え方に近いのかもしれません。

そのうえで、

一部でも伝われば十分とするのか
相手や場面を選ぶのか
自分の中でそのまま持っておくのか

そういった選択も出てくるのではないかと思います。

最後に

「分かってもらえない」という感覚は、
ただのすれ違いとして片付けられることもあります。

ただ、その裏には、

そのまま受け取ってほしいものがある

という前提があるのかもしれません。

そして、それが難しいからこそ、
引っかかりとして残り続ける。

そう考えると、

この感覚そのものを無くそうとするよりも、

どう扱っていくか

という視点の方が、現実に近いのかもしれません。

忍者

「分かってもらえない」と感じる背景には、自分の中の感覚も関係しているのかもしれません。

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