最近、ニュース番組でAIロボットの特集を見ました。

AIが24時間体制で製薬や薬の研究を行い、さらに研究成果を論文としてまとめるところまで自動化されている。

正直、かなり衝撃を受けました。

「ロボットがこんなことまでできるのか」と。

同時に、こんなことも考えました。

「他の人たちは凄いことをやっている。
じゃあ、自分は何をやっているんだろう」と。


自分は今、福祉施設で夜勤専従として働きながら、ブログを書いています。

生き方、働き方、理解されなかった経験、夜勤の現実、孤独感。

そういったものを、少しずつ言葉にしています。

でも、AIや最先端技術のニュースを見ると、自分のやっていることが急に小さく見えてしまう瞬間があります。

「こんなことをやっていて、本当に大丈夫なのか」

そんな不安が出てきました。

実際、これまで自分は、生活に対して強い安心感を持てたことが、ほとんどありませんでした。

将来への不安もある。
収入への怖さもある。

このままで本当に生きていけるのか。

そういう感覚は、今でも普通にあります。

だからこそ、余計に焦りました。

新しいスキルを身につけるべきなのか。
もっと市場価値の高いことをやるべきなのか。

色々考えました。

でも、考えれば考えるほど、ある感覚に戻ってきました。

「1人の人間が、あれもこれもできるわけじゃない」

もちろん、新しいことを学ぶのは大切だと思います。

でも、不安だけで、自分と全然違う方向へ無理に進もうとすると、たぶん自分はどこかで壊れてしまう。

そんな感覚もありました。


自分は、AIロボットを作りたいわけじゃない。

もちろん、そういう技術を否定したいわけでもありません。

ただ、自分がずっと引っかかり続けていたのは、別のことでした。

これまで感じてきたこと。
うまく言葉にできなかった感覚。
理解されなかった苦しさ。

自分の中に確かにあるのに、うまく説明できなかったもの。

そういうものを、自分なりに整理して、言葉にしていきたかった。

忍者

自分の中にあるのに、
うまく言葉にできなかった感覚については、
以前こんな記事を書いています。

人々が行き交う都会で一人孤独を感じている青年のイラスト
過去を証明できないときに起きる屈辱本気でやってきた過去を軽く扱われたときの、あの屈辱は何なのか。証明できない過去と現在の評価のズレに苦しんだ体験をもとに、その感覚の正体を考えます。...

実は、自分は今、福祉施設で働くことにも強いやり甲斐を感じています。

大変な仕事ではありますが、今の職場環境にも本当に感謝しています。

そして同時に、ブログを書き、言葉を積み上げていくことにも、少しずつ達成感を感じるようになってきました。

最近は、自分の考えや感覚を記事としてまとめ、発信していくことの面白さも、少しずつ分かり始めています。

だからこそ、「自分はどこへ向かうのか」迷う瞬間もあります。

福祉も中途半端にしたくない。
言葉を書くことも、中途半端にしたくない。

でも、本気で積み上げたいと思えるものがあること自体、以前の自分には無かった感覚でした。

そしてもし、誰かがその文章を読んで、

「自分だけじゃなかったんだ」

と少しでも思えたり、自分の気持ちを整理するきっかけになったりするなら、その経験にも意味があったのかもしれない。

最近は、そんなふうに思うようになりました。


AI時代だからこそ、

「何でもできる人」になろうとするより、自分は何を積み上げていく人間なのか。

そこを理解することの方が、大事なのかもしれません。

もちろん、それだけで本当に生きていけるのかは、まだ分かりません。

正直、今でも怖いです。

もっと稼げる人を見ると焦るし、AIの進化を見ると、置いていかれる感覚になることもあります。

それでも、他人の才能を追いかけ続けるより、自分の特性を理解して、自分自身の延長線上で未来を作っていきたい。

今でも、
この積み上げが本当に正しいのかは分かりません。

それでも、自分はまた、
言葉を書く場所に戻ってきました。

たぶん、自分はこれを積み上げていく人間なんだと思います。

忍者

以前は、こんな状態の自分が発信していいのか、
ずっと分からないままでした。

人生道半ばをイメージした風景イラスト
うまくいっていない自分でも、発信していいのか|途中のまま伝えるという考え方うまくいっていない自分でも発信していいのか。何者でもないと感じながらも言葉を出すことへの迷いと、途中のまま伝えるという考え方について、自分の体験をもとに整理します。...